« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

出生届

 出生関連手続きのため、役所に出向いた。

 出生届は事前に記入済みである。
 乳幼児医療、児童手当の申請も同時に行う。こちらは所得制限があるのだが、薄給の私には全く関係のない話である。

 役所というのは不親切なところ。前知識なしでは困るはずだ。
 手続きに必要なものなど、ネットから情報を入手しておく。

 久しぶりに行く役所。
 まずは、出生届の窓口に行く。

 とにかく無愛想である。
 ただ、こちらから聞かずとも、乳幼児医療と児童手当の案内書を手渡され、同時に手続きできる旨の説明はあった。少しはマシになりつつあるということか。
 とはいえ、やはり事前に何が申請できるのか、何が必要かなど、知っておかなければオロオロすることだろう。

 ともかく、無事手続きは完了した。
 野々心と菜々心は戸籍に登録され、わが家は正式に四人家族となったのである。

| | コメント (0)

母子同室

 双子の血液検査をするという。
 結果がよければ、点滴がはずされる。
 できれば日曜日ぐらいには・・・という、私の要望を聞いてもらえたのだろうか。

 果たして、二人の身体に刺さっていた針は抜かれたのである。

 野々心は、そのまま保育器から出ることができた。日中は母子同室となる。
 菜々心は、体温維持のため、もうしばらく保育器生活を続ける。

 翌日、菜々心も短時間限定ながら母子同室を許された。

 まもなく消灯時間。
 病室のベットの上に双子がいた。

 誕生から四日目にして、ようやく二人が並ぶ姿を見ることができたのである。

| | コメント (0)

名前を書く

 生まれるずっと前から名前は決まっていた。
 性別が分かった時から、お腹の中の二人には名前で呼びかけていた。

 手術後、どちらが先かではなく、お腹のどちら側にいた子かを教えてもらった。
 左下の子は「野々心」右上の子が「菜々心」、「ののみ」「ななみ」と読む。

 最初、赤ちゃん用名札には、妻の名前と番号が書かれていた。
 1子ちゃん、2子ちゃんはかわいそうだから、決まっているなら書いてあげてと、看護士さんに薦めていただき、早速名前を書いた。

 改めて二人に呼びかける。
 ちゃんと自分の名前に反応する。お腹の中でしっかりと聞いていたんだよね。

 名札に名前が記入されたことで、病院スタッフからも名前を呼んでもらえるようになった。娘達も喜んでいるようであった。

| | コメント (2)

誕生

 電話のベルで目を覚ました。
 午前2時過ぎ。

 破水したという。こんな事態は想定していなかった。
 とにかく病院へ向かう。

 破水して子宮収縮が始まっている。点滴で感染防止と収縮抑制。子供達は元気なため、翌朝の予定手術までもたせるとのこと。
 二人でドキドキしながら長い夜をすごした。

 ともかく、無事、手術予定時間を迎えることができた。

 希望はしたものの立ち会いは認められなかったため、手術室の入口で妻を見送ることとなった。
 手術室に消えて行く妻を見ていると、鼓動が激しさを増して行くのがわかった。

 助産師さんからの指示通り、産科病棟の待ち合い室で待機するが落ち着かない。双子がやってくるはずのエレベーターの前を、ウロウロと歩き回る。

 やがて、開いた扉の向こうに、二つの保育器が並んでいるのが見えた。

 「おめでとうございます」「とても元気ですよ」「二人ともお譲ちゃんですよ」「出てきてすぐに元気よく泣いていましたよ」助産師さん達の声が飛び交った。

 けして大きくはないが、心配したほど小さくもない。肌つやがよく、元気よく動いている。
 無事誕生したのだ。
 視界が滲むのがわかった。

 「ありがとうございます」それが精一杯の科白だった。声はきっと震えていたのではないかと思う。

 病室で、戻ってきた妻に付き添う。
 痛みに耐える妻。手を握って励ますことしかできない自分が歯痒い。
 痛み止めが効き目をあらわし、妻は眠りに落ちていった。

 その間、状態のよい双子たちと触れ合うことができた。
 保育器の中ではあるが、ボディーマッサージをし、両手で抱いた。
 新しい生命のぬくもりを、全身で感じることができた。

 消灯となる21時まで妻に付き添った。
 殆ど寝ていないが、気が張っているためか元気である。

 それにしても長い一日だった。
 2006年6月22日。
 人生でもっとも長くそして幸福な一日であった。

| | コメント (9)

誕生前夜

 午前中、状態は落ち着いていた。
 予定の29日が目標だが少し早まる可能性もある。妻は、病棟担当医からそんな風に聞いたようである。

 午後、私が付き添っているところへ主治医がやってきた。明日にでも手術の可能性が高いという。
 一晩で1.5kg体重が増加しており、これは腎臓が水分を処理しきれていないことを意味する。子供のためにも、すぐにでも出してあげたほうがよいとのことであった。

 Dr.の判断に任せるので、今日判断して確定して欲しいと依頼した。
 主治医が小児科担当医と相談した結果、明日22日朝から手術と決定した。

 決まったとなれば、あれよあれよと準備が行われる。
 夫婦は実感の薄いまま、明日双子と対面することになったのである。

 今夜はそのままでは眠れそうになかった。
 しかし、明日は朝から忙しくなる。しっかり眠っておかなければならない。
 自宅周辺を走ることにした。

 走り出すと、足は自然とある場所へ向かっていた。
 神社である。お宮参りはここが良かろうと考えている。
 暗くなった境内で手を合わせ、一心に願った。普段は信心のかけらもない。こんな奴でも神は願いを聞いてくれるのだろうか。

 アップダウンの激しい自宅周辺を、約1時間程走った。
 走ると心が落ち着く。あるいは珍しく神に手を合わせたからなのかもしれない。

 今夜はぐっすりと眠れそうである。

| | コメント (2)

入院

 28日に入院、29日に手術(帝王切開)の予定となり、本日20日、夫婦揃って入院説明を受けることとなった。
 説明の前に、妻は検診を受ける。前回の検診から18日が経過している。双胎とは思えぬ検診間隔だ。
 状態がよければ、あと一週間と少しで出産を迎える。いよいよである。

 主治医から、今までの経過や手術に関する説明がなされた。概ね想像通りの内容である。

 一方で「むくみ」や「血圧」のことなど、今の状態を強調される。何かと思っていたら、妊娠中毒症の恐れがあるとのこと。

 そして『このまま緊急入院してもらいます』と告げられた。

 この事態は予想外であった。
 いや、あまりに妻の状態がいいため「緊急入院させられたりして・・・」なんて冗談で話していたことはあった。まさか本当になるとは・・・
 しばらく動けなくなるだろうからと、今日は美味しいものでも食べに行く予定だったのに・・・

 危険な状態というわけではないのだが、翌日になっても血圧が下がらないようであれば、緊急手術の可能性もあるという。落ち着けば、予定通り37週を待っての手術となる。

 病棟へ移ったころには、面会終了まで2時間を切っていた。
 心の準備はできていなかったが、大まかな入院準備はできている。自宅は病院のすぐ近くである。すぐに荷物を届け、入院手続きも終えた。

 さらに身の回りの小物などを届けたときには、面会時間を越えていた。
 明日の面会時間に来ることを伝えて、病室を後にした。

 一人になった。
 今から食事の用意をする気にもなれない。久しぶりにラーメンでも食べに行くか。

 一人で食べるラーメンは、なんとも寂しく悲しい味がした。
 これからしばらく一人暮らしである。やっていけるだろうか。
 結婚する前には、長年一人暮らしをしていた。そのときに感じたことはなかったが、一人で過ごす時間は、なんとも空虚なのである。

| | コメント (1)

計量本番

 前日。
 17時頃、仕事をしながら、マグカップに入れたシリアルで夕食を済ませた。翌日の計量まで絶食となる。
 目標には十分なはずだが、念のため帰宅ランはフル(21km)を走る。喉の渇きを覚えないギリギリまで水分摂取は控えた。

 当日。
 軽い服装を選ぶ。
 おそらく衣服着用のまま計量して、適当に差し引かれるはずである。多少なりとも有利なはずだ。セコイようだが、せっかくの努力を無駄にしないため、念には念を入れる。

 結果は・・・

   身長164cm
   体重67kg
   胸囲98cm
   胴囲78cm

 ・・・ランナーとは思えぬ体型である。
 しかし、目標に向けて、追い込み一月の結果としては、上出来であった。多少なりとも走力も上がっているはずだ。

 5月は走行271km。
 へたれランナーにしては、まぁ頑張ったと思う。
 トレーニングを見守り応援してくれた、妻とお腹の中の双子達へ、ありがとう。

| | コメント (3)

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »